待望の再印刷! 16ページ21枚の写真を追加! Die Panther-Abteilung "Brandenburg" 1945 The Panther-Battalion "Brandenburg" 1945 und ihre Vorgeschichte als I./Abt.Pz.Rgt.26 and Its Prehistory as I./.Pz.Rgt.26 ”ブランデンブルク”パンター大隊 1945 チェルカッシ・ブタペスト・オーデル・ハルべの戦い
著者が10年以上の歳月をかけ、今まで正確な事が不明だったブランデンブルク装甲連隊と その前身である第26装甲連隊第1大隊を徹底的に調査した素晴らしい資料&写真集です。 殆ど資料が残っていない末期の部隊をよくここまで調査しました。 絶望的な状況を命がけで祖国を守ろうとした、部隊の素晴らしい本です。 この本の流れは ブランデンブルク大隊の元となる第26装甲連隊第1大隊は1943年1月の創隊から始まり 同年5月末のパンターD型が配備されこの部隊の基本が構築されます。 1944年1月フランスに駐屯していた同部隊はGD師団配下となり、チェルカースィ包囲戦で ウクライナのTischkowka周辺での戦闘に参加し、ソ連軍のバグラチオン作戦発動に伴い 7月には北上し東プロイセン国境近くの リトアニアヴィルコヴィシュケン奪還作戦で激戦を繰り返すも8月末には撤退を余儀なくされます。 その後後退しながら10月〜11月のはメーメル橋頭堡で防御戦を行うも多大な損害で 再編を余儀なくされ12月に第6装甲師団の配下でPhilipp戦闘団(第1装甲連隊)と共に ブタペスト防衛戦に参加します。 1944年1月18日部隊はポーランド西部Saganで 新しく再編され前年9月に創隊されたブランデンブルク装甲擲弾兵師団に編入され 部隊名もブランデンブルク装甲連隊第1大隊となりました(この時パンターの保有台数は45両)。 2月同部隊は装甲擲弾兵師団"Kurmark"とフランクフルト/オーデル川の重要地点になる キュストリン・Klessinなどでソ連軍と激戦を戦い 4月16日からのゼーロウ高地の戦いで奮戦するも、ハルベで壊滅寸前の第9軍と共に包囲され その脱出から部隊壊滅までの全記録。 主な見所(一部) *完全ドイツ語・英語併記 *数多くの未発表写真 *詳細な部隊や戦車の行動カラー地図が27枚 *1944年1月からの部隊の詳細な行動記録 *部隊の指揮官や兵士のレア写真 *数多くのゼン&ナウ写真 *"Kurmark"師団マークが描かれた!オペル自動車のレア写真(戦車猟兵大隊Kurmark整備中隊) *行動を共にした"Kurmark"師団の詳細 *この部隊の前身である第202装甲連隊のソミュア S35とオチキス H35のカラー写真 *空軍ハンス=ウルリッヒ・ルーデル大佐の援護攻撃の詳細 *ハルベ戦時のレア写真 (ハルベ近郊Storkow駅近くでの生きている!SS第502重戦車大隊のタイガーII 122号車) (ハルベでのKurmark師団第1239士官候補生擲弾兵連隊の兵士達とパンツァーヴェルファーの生きてる写真! (ハルベで撃破された 特殊なシュルツェンを装着したIII号突撃砲) *1945年2月〜3月の完璧なパンター配備図 *"Kurmark"師団の戦車保有推移表 *ブランデンブルク装甲連隊指揮官表 *判明しているブランデンブルク装甲連隊戦死者 その他驚きの内容多数です。 全ての装甲部隊に興味ある方に!! |
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↑私の好きな1枚の写真 1945年3月24日の写真で第1242士官候補生擲弾兵連隊長のHans-Wolfgang Schöne予備役中尉(1909-2000)がキュストリンの防衛戦での戦いの功績により騎士十字を授章した時の写真です。 この部隊は士官候補生25%予備役25%国民突撃隊50%で編成された部隊で当初1600人でしたがキュストリン防衛戦時は400名で3月22日に脱出出来たのはわずか70名でした。 部隊の生存者と一緒に撮影された写真には、負傷者・老人・少年・士官候補など多様でドイツ軍の末期部隊を良く捉えた写真だと思います。 しかしその後彼らはKurmark師団に編入されさらなる地獄が待ち構えていました... Copyright © 2004-2020 PANZERBOOK.COM . All rights reserve |