凄い本です!1944年〜1945年イタリア北東部フリウリでのコサック末期の未発表写真集&資料本です。
1943年から東部でドイツ国防軍が撤退したため、多くのコサックの家族が故郷を離れることを余儀なくされました。1944年の春、
彼らは現在のベラルーシに撤退し1944年7月の初めにはポーランドに滞在していましたが
ドイツ政府はコサックの名称をコサキヤ(Kosakia)として、新たな定住地区をイタリア北部のトルメッゾ地域(フリウリ州)に移住する
計画を立てました、8月から移動を開始し 17000名のコサックと馬14000頭の移動が予定でしたが、結果的に35000人以上のコサックと馬6000頭でした(人員や頭数は諸説有り)50本の列車で運ばれました。
これは、パルチザン掃討を目的とするアタマン作戦と言う名目でもありましたが、実際はコサック国家を作ると約束した事の対策でした。
この本について
良く見る記録写真では、制服も整い軍隊らしい写真が多々ですが、この本では
軍服も親衛隊・陸軍・警察・空軍・HJなどのお古を着用し、無ければ私服とバラバラ
(コサックの体型は当時の日本人と同じくらいか小さい位、ドイツ軍の制服のサイズと合わなかった事も原因のひとつ)
火器も拳銃が多く(乗馬時片手で操作出来る)、家族との写真も貴重です。
写真も記述も完璧な内容です。
著者Enrico Folisi氏はイタリアの第一次大戦から第二次大戦の本を多数出している研究家兼ドキュメンタリー監督です。
この本も、実に詳細にドイツ軍コサックの事が研究されており興味深い事が多数です、イタリアへの移動の前後は勿論の事
現地でのコサックの行動・犯罪・住民の証言など多数です。
写真について
写真を撮影したのはウーディネ出身のSergio Gennaro(1922-2009)で当時22歳の医学生でした。
1944年の夏、ペサリイスへ家族と引っ越しして来ました。
写真が趣味で高級カメラを所持していた彼はコサック相手に、お土産用の写真撮影を思いつき
写真屋を始めました。その時撮影された175枚の写真が最近発見され、これが凄い写真でした!
(この本はその写真から厳選した86枚の写真が掲載されています、他の写真は公文書館や個人所蔵)
普通、お土産用の写真は、室内でポーズを決めた写真が多いのですが、全て野外で撮影されており大変貴重で
写真のクオリティーも素晴らしく、本当のコサックの姿が記録されています。
Sergio Gennaroは戦後医者となり出身地であるウーディネで開業医となりました。
主な撮影場所はカルニアとペサリイスでした
ペサリイス
現在の人口は180人位で時計職人の村、17世紀後半から時計を製作し現在でもイタリア製時計部品の重要な生産地です。
貴重な18世紀の時計初期に関する文献や資料は、コサックが盗んだり破壊し永遠に失われてしまいました。
113枚の写真
Copyright © 2004-2022 PANZERBOOK.COM . All rights reserve