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2.PANZER-DIVISION
TOME IV
Wacht am Rhein. Ardennes. Automne 1944 - Janvier 1945

第2装甲師団 Vol.4 アルディンヌ 1944年秋〜1945年1月




\14.200 \0


Heimdal Frédéric Deprun
フランス 352
2024 約720枚の写真
30cmx24cm ハードカバ−
仏語 新品


電撃戦の成功を再び...しかし8日間の戦闘でドイツ軍は再生不可能な損害をもたらす事に

著者Frédéric Deprun 氏はこの師団の研究に第2装甲師団戦友会の協力を受け20年以上費やし、素晴らしい本が出来上がりました。

このVol.4はアルディンヌ戦(バルジの戦い・ラインの守り作戦・秋霧作戦)が特集されています。

ノルマンディ−のファレーズ・ポケットで壊滅的ダメージを受けた同師団は、シェーンフェルト大佐(後に少将)配下でドイツにおいて
驚異的スピードで再編されます、その時は誰もドイツの運命を左右するバルジの戦いに投入されるとは誰も思っていませんでした。
しかし、作戦開始前日シェーンフェルト少将は師団長を解任され(その理由も詳細に記載)突然師団長に任命されたのは
第101装甲旅団長だったラウヘルト大佐(後に少将 戦後 映画 バルジ大作戦のドイツ側アドバイザーで参加)でした。
第2装甲師団は第5装甲軍(マントイフェル装甲兵大将)配下の第47装甲軍団(リュットヴィッツ装甲兵大将)に所属し
米軍を蹴散らしミューズ川まで一気に進撃するのが目的で、同師団は多大な犠牲を出しながら実際他の部隊より確実に早く進撃し
最終的にはミューズ川の8km位手前まで到達しましたが、それ以降は燃料切れとなり兵器を破棄し
撤退となります。

この本は第2装甲師団の各部隊の行動や戦闘を詳細に解説し、レア写真や多数の地図などで
完璧な師団史となっています。




Vol.1は絶版.



 写真 地図  イラスト  表
究極の攻撃
兵士の墓場
 28 2    
1944年9月 西方の壁へ
プリュム から マイエン
帰還
 29 3  1  
1944年10月〜12月15日 新しい第2装甲師団
アイフェルでの再編成
モゼルでの第304装甲擲弾兵連隊
装甲工兵部隊
対空砲部隊
装甲部隊
新しいパンター戦車
装甲砲兵部隊
98 3 5  2
指揮官
師団長ヘニング・シェーンフェルト大佐(1944年12月1日に少将)騎士十字
師団長マインラート・フォン・ラウヘルト大佐(1945年3月に少将)柏葉騎士十字
その他の指揮官
XLVII装甲軍団長ハインリヒ・フォン・リュットヴィッツ装甲兵大将 (元第2装甲師団長)剣付柏葉
第5装甲軍司令官ハッソ・フォン・マントイフェル装甲兵大将 ダイヤモンド柏葉剣付
 70  1  
ラインの守り 1944年12月16日
第2装甲師団の配備
ダスブルク橋
集中砲火
マルナハ から ホージンゲン
突撃砲戦車への破壊工作
 74 9  1  4
アルディンヌへの進撃 1944年12月17〜18日
目的地はクレルヴォー
マルナッハ包囲戦
ハイナーシャイト から フイッシュバッハ
城塞
道路封鎖
 105 9  3  2
ノヴィルからバストーニュ 1944年12月19〜20日
ノヴィルでの戦闘
丘の上で破壊された戦闘車両
ノヴィルのIII号突撃砲
 56 7  3  
ミューズ川へ向かって 1944年12月20〜23日
ディオンへ
オルトゥーヴィ
ハージモンド
レニョン から ハイド
 44 7  1  3
包囲 1944年12月24〜27日
行き詰まり
切り込み中隊シーベルト
マエンヌのパンター戦車
コッヘンハウウザーの教会
装甲車輌の墓場
セルのパンター戦車
ハブレンヌ から ビュイッソンヴィル
 133 10    2
捕獲車輌集積所  29 1  3  
  第2装甲師団 進撃の終わり
守備的撤退
ブレ から クルボン
オーバーワンバック
 51  3  1  
  参考文献        

約720枚の写真・多数の地図や表やカラーイラスト


     


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