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フランツ・シュミット曹長
1920.10.18-2016.10.17
第7工兵補充大隊
第17装甲師団第27装甲工兵大隊第2中隊
ドイツ十字章 金
白兵戦章 金
鉄十字 一級
鉄十字 二級
1944.11.14
1944.02.07
1942.10.30
1942.02.17
又は03.09
一般突撃章
白兵戦章 銀
1942.02.13
1942.10.20
戦傷章 金
戦傷章 銀
戦傷章 黒
1944.08.01
1943.07.29
1942.03.01
金色白兵戦章は、ドイツ軍歩兵に対して最高の勲章でした。
1942年11月25日に制定されたのですが、初期はあまり認識されなかった勲章でしたが
1944年の春頃には金色は騎士十字に匹敵する章となりました。
それは、最高司令部の調査で、あまりにも受章者が少ない事が判明し
授章者にはヒトラーが直接勲章を渡す事になりました。
金色白兵戦章は50日以上の装甲部隊の援護無しに最前線で戦った兵士に権利が生まれました。
(師団長などの権限で、これ以降の接近戦が出来ない負傷者や戦死者などには
40回以上の接近戦でも可になっていました、しかし捕虜や行方不明者は授章出来ませんでした)
フランツ・シュミットは
この賞の受賞者で、1944年2月7日、第17装甲師団第27装甲工兵大隊第2中隊の
小隊長としてこの章を受けました。
1944年8月27日、彼はアドルフ・ヒトラーの総統本部でヒトラーから直接受勲された最初の
14人の兵士の一人でした。当時、フランツ・シュミットはすでに74日の近接日が軍隊手帳に記載さて
いました。
シュミットは煉瓦職人でしたが1940年10月3日に陸軍に徴兵され
第7工兵補充大隊で訓練を受けました、その後第17装甲師団第27装甲工兵大隊に配属されました。
1941年6月22日のロシア侵攻開始から機関銃手としてモスクワを目指しました
9月に負傷しましたが1942年2月中旬には隊に戻り、勇敢に戦い鉄十字二級と一級を受け
伍長になっていました。
その後第6軍がスターリングで包囲され、師団は救出作戦に参加しましたが失敗に終わり
後退戦になりましたが、その直前に小隊長となっていたシュミットは白兵戦が記録されていきます。
1944年の初めには、50を超え2月7日付けで金色白兵戦章が伝達されました。
(勲章授与は上記の8月27日迄待たなくてはいけませんでした)
1944年11月14日に金色ドイツ十字章を授与され、1944年12月4日に曹長に昇格し
休暇で故郷に戻っていたュミットは捕虜を免れました。
この本は
フランツ・シュミットの生誕から終戦・戦後を本人の証言を著者が編纂した本で
金色白兵戦章の兵士をリアルに記録した素晴らしい本です。
他の受章者の紹介も資料性が高い本です。
1944年8月〜9月のヒトラーの授賞式の項目は、写真も含めて素晴らしい内容です。
勿論、シュミットの個人写真も多数掲載。
騎士十字より勝ると思われる、本当の英雄を知る貴重な1冊です。
ちみに.シュミットは銅色白兵戦章は授章されなかったそうです。
150枚の写真
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Möbius
Ingo Möbius
ドイツ
377
2019(第4改訂版)
150枚の写真
22cmX16cm
ハードカバ−
独語
Immer wieder Nahkampf
Ein Träger der Nahkampfspange in Gold erinnert sich
Franz Schmid
フランツ・シュミット曹長 金色白兵戦章・金色ドイツ十字章