Werner Mummert - Das Leben eines sächsischen Offiziers
ヴェルナー・ムマ−ト少将:ザクセン将校の生涯
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Libergraphix |
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Hein Johannsen |
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ドイツ |
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706 |
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2012 |
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400枚の写真 |
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30cmX24cm |
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ハードカバ− |
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独語 |
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剣付柏葉騎士十字授章者・ミュンヘベルク装甲師団師団長(赤外線暗視装置(F.G.1250)部隊)
ベルリンで最後まで戦った男!
これほど、素晴らしい経歴の人物がこの本が出るまで殆ど語られなかったは不思議です。
ヴェルナー・ムマート少将の唯一にして最高の本です。
1897年ザクセン州で生まれたムマートはドレスデンの王立ザクセン高等学校に通い、祖国が危機に瀕していた 1914 年の夏に兵役に志願しました。
17歳の時彼は東部戦線の激戦を経験し、中尉として 1917 年にクールラントの戦いに参加しました。
フォン・デア・ゴルツ将軍の指導の下、彼はバルト海師団とともにフィンランド人民の自由を求める闘争に参加する。
その勇敢さにより、彼はザクセン軍の最高勲章である聖ヘンリー王立軍事勲章と、フィンランド自由十字章、鉄十字章2級を授与された。
ヴェルナー・ムマートは退役後、ライプツィヒで農業学を学び、その後、父親の邸宅を引き継ぎました。
その後数年間、彼は農業と彼の大きな情熱である馬術競技に専念し、ドイツで有名な乗馬選手とまります。
1920 年代と 1930 年代に「鉄兜団」、NSDAP、SA、SS のメンバーになりました。
(1932年に NSDAP (番号 1004990) に、1939年に SS (番号 340759) )
1935年にドイツ国防軍の創設が宣言されたとき、彼は予備士官としての再任を許可され
陸軍に入隊しましたがSSの騎馬部門にも属していました
その後陸軍第4歩兵師団第4偵察大隊長となり、ポーランド戦に参加、
1940年には、第256歩兵師団第256偵察大隊長として彼は西部戦線で大きな功績をあげました。
この部隊を率いロシア侵攻ではモスクワの北西でヴォルガ川に達し、それを横切ります。
1941年から 1942年にかけて、ヴェルナー はルシェウ北のヴォルガ川渡河を守り、数千のドイツ兵の退却を確保しました。
この東部戦線の稀に見る、功績によりヴェルナー は東部戦線将校としての伝説的な名声を獲得ししました。
しかし、前線主義の彼は多数の傷を負い、OKH指揮官予備軍(1943)にて、次なる配属を待っていたが
第14装甲師団第14装甲偵察大隊の指揮官となり、ヴェルナー は 1943 年にクルスクとオーレルの戦車戦に参加しました。
彼は再び負傷し、今度は重傷を負ったが回復後、1944 年の春、彼はチェルカッシー前で第103装甲擲弾兵連隊の指揮を引き継ぎ、
包囲された軍集団の周囲の致命的な陣地を大胆な攻撃で突破しました。 柏葉を授与され、同時にSS髑髏リングSSを授与されました。
彼のさらなる戦いの道はベッサラビアへ、そして 1944 年の秋にはクールラントへ向かいました。
そこで彼はソ連軍の攻撃を粉砕し、クールランド軍の脅威にさらされていた側面を救った。 彼は陸軍報告書に名前が記載され
剣付柏葉と同時に、SS髑髏リングも授章しました。
その後、1944年末、師団指揮官養成学校(Divisionsfuhrer Lehrgang)に在籍し、
戦争末期状態となった時、第103装甲旅団を率いてシレジアのシュタイナウ近くで攻撃する赤軍部隊に対して戦い、
1945年3月第103装甲旅団を改編したのがミュンヘベルク装甲師団となり
暗視装置付きパンターなどを装備していました。
キュストリンの戦い、ゼーロウ高地の戦いを経て最後はベルリンで最後まで戦いソ連軍の捕虜となり
1950年、モスクワ東の収容所で飢餓浮腫により死亡した。
この本は
ヴェルナー・ムマート少将の祖先から亡くなる迄が詳細に調査された本です、特に第103装甲旅団、ミュンヘベルク装甲師団の詳細は貴重で
実際の車輌等の配備数なども書かれています。
人物史としても部隊史としても素晴らしい本です。
部隊経歴
第一次大戦
第19軍団サクソン王国 カラビニエ連隊 第2戦隊
第二次大戦
第10騎兵連隊
第16SS-Reiterstandarten
第4歩兵師団第4偵察大隊(長)
第256歩兵師団第256偵察大隊(長)
OKH指揮官予備軍(1943)
第14装甲師団第14装甲偵察大隊(長)
第14装甲師団第103装甲装甲擲弾兵連隊(長)
第103装甲旅団(旅団長)
師団指揮官養成学校(1944)
ミュンヘベルク装甲師団
授章歴
第一次大戦
鉄十字(1914) 2級 |
1916 |
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聖ハインリヒ勲章(サクソン軍) |
1918.6.16 |
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戦傷章(1916) 黒 |
1918.6 |
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自由の十字章(フィンランド) |
1918.8.17 |
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名誉鉄十字章 |
1936 |
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第二次大戦
国防軍勤続章 4年 |
1936.10.2 |
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ナチ党勤続章 10年 |
1939.4.1 |
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古参闘士名誉章 |
1939 |
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1938年10月1日記念メダル |
1939 |
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鉄十字章略章 |
1940.5.11 |
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鉄十字 1級 |
1940.7.7 |
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歩兵突撃章 銀 |
1941 |
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金色ドイツ十字章 |
1942.1.11 |
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名誉鑑章 |
1942.5.4 |
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白兵戦章 銅 |
1942 |
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戦車撃破章 銀 |
1942 |
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戦車戦闘章 銅 |
1942 |
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東部戦線従軍章 |
1942 |
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騎士十字章 |
1942.8.17 |
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戦傷章 銀 |
1943.8.25 |
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柏葉 429 |
1944.3.20 |
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国防軍軍報 |
1944.9.23 |
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SS髑髏リング |
1944.10.23 |
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剣付柏葉 |
1944.10.23 |
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戦傷章 金 |
1944 |
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クールラント従軍袖章 |
1945 |
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400枚(書類等含む)の写真・40の地図
本体は布製銀色型押し文字
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