Panzerregiment 11, Panzerabteilung 65 und
Panzerersatz und Ausbildungsabteilung 11
Band 3: Letzte Einsätze in Russland, die Ardennenoffensive, die Kapitulation und
die Gefangenschaft - Juni 1944 bis Februar 1948

第11装甲連隊、第65装甲大隊及び第11装甲予備・訓練大隊 第3巻
 1944年6月〜1948年2月 東部戦線での最後の戦い・アルディンヌ戦・降伏


\9.800 ¥0
 
FLECHSIG Michael Schadewitz
ドイツ 416
2013 369枚の写真
30cmX24cm ハードカバ−
独語 新品



第11装甲連隊、第65装甲大隊、第11装甲予備及び訓練大隊の完璧な部隊史です。

この本の初版は1987年に著者が自費出版した本で、当時は約600ページでしたが、今回の改訂完全版は
3冊で約1250ページ!で、新たに発見された資料や写真が追加されています。
著者は、あの名作Meuse First and Then Antwerp(第150装甲旅団史)の著者でもあります。

     
 1987年初版 自費出版レア  第150装甲旅団史独語版  第150装甲旅団史 英語版


第11装甲連隊は1937年10月12日パーダーボルンの軍事訓練所の街センネラガーでWilhelm Philipps中佐(後に中将・騎士十字)をトップに設立され、
第 65 装甲大隊は同じ場所で同日Kurt Thomas少佐(第999アフリカ師団戦死後中将)が司令官でした。
開戦当初は第1軽師団に配属され、ズデーテン侵攻に参加、ポーランド戦後の1939年10月18日第6装甲師団配下に
その後、フランス侵攻で戦ったあと本国に戻り、北方軍集団傘下で1941年6月のバルバロッサ作戦に参加、10月には中央軍集団に移動
レーニングラード戦などで戦い、モスクワ直前で壊滅状態となり1942年5月にフランスに帰還、6月3日には
別部隊だった第65装甲大隊が第11装甲連隊の第4.と第8中隊に編入されました。
その後11月にスターリングラード包囲救出作戦、ハリコフ戦と激戦地で戦い抜いたが、バグラチオン作戦で中央軍集団が破壊された後、ポーランド北部と東プロイセンの防衛、
ブダペスト包囲戦周辺の戦いに参加した後、オーストリアに後退し、ウィーン防衛に参加しました。
1945年5月にアメリカ第3軍に降伏したが、ソ連軍に引き渡されました。



配備戦車は
II号戦車・35(t)戦車・IV号戦車・35(t)指揮戦車・III号戦車・パンター戦車・IV号対空砲戦車・III号火炎放射戦車等々です。

第11装甲連隊の連隊長は
ヴァルター・フォン・ヒューナースドルフ大佐(柏葉 後に中将)
ヘルマン・フォン・オッペルン=ブロニコフスキー大佐(剣付柏葉 後に少将)
フランツ・ベーケ大佐(剣付柏葉 後に少将)
など英雄揃いです。


この第3巻は

第II大隊のみで構成されていた第11装甲連隊が、ベルゲンで休暇および再装備された後、再び戦闘に投入されました。
1944年7月中旬から、部門は東プロイセンの防衛陣地で作戦を実行しなければならなくなり、その後1944年から1945年の冬にはワルシャワ北方での防衛戦、
ハンガリーでの防衛戦が続き、1945年3月からはワルシャワ近郊での撤退戦が行われた。

特別編 I -第11装甲連隊第I大隊の詳細が紹介されています。この部隊は、パンター戦車装備するために 1943 年 4 月にフランスにほぼ 1 年間移転し、
その後ガリシアに配備され、クラクフまで後衛活動を行った後、残りの部隊が配備されました。第I大隊の一部は 1944 年 12 月初めに退場となり、第 11 装甲連隊の第 2 師団が再編成されました。

特別編 II - グライフ作戦 - では、1944 年から 1945 年のアルデンヌ攻勢における第 11 装甲連隊第I大隊第4中隊の展開について説明します。SS中尉スコルツェニーの指揮の下、その計画はアメリカ人に変装し鹵獲した車両を装備した我が軍を配備することであった。とりわけ、我が軍の戦車部隊によるアントワープへの攻撃を確実にするために、ムーズ川に橋が建設されることになった。作戦全体は大失敗に終わり、第4中隊は1944年12月21日のマルメディ沖での作戦中に敗北した。

特別編III -第 11 戦車交換及び訓練大隊の詳細

特別パート IV - 捕虜 - 苦い結末 - 第 11 装甲連隊の長年の隊員であるベルンハルト・バッケルネッカー軍曹が、帰国までのロシア捕虜時代について語ります。
第 11 装甲連隊の多くの隊員が共有した運命です。

 写真(書類等含む)  地図
IX 1944年5月24日〜7月9日 ドイツ国内での再編  3  
1944年7月10日〜1945年5月10日 第3回目の東部戦線

1)東プロイセン防衛陣地での作戦1944年7月11日〜8月26日

2)ワルシャワ北部ナルフ川での防衛戦 1944年8月27日〜12月8日

3)ハンガリーでの戦闘 1944年12月13日〜1945年2月末

4)ハンガリーでの最後の戦い ウイーンでの撤退戦と降伏 1945年3月末〜1945年5月10日
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特別編 I 第11装甲連隊第1大隊(パンター装備) 1943 年 4 月から 1944 年 12 月まで

1)第 1 章 - 再装備のため本国とフランスに移送(1943 年 4 月〜1944 年 3 月)

2)ガリシアでの作戦とクラクフへの撤退 (1944 年 3 月〜 1944 年 8 月)
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特別編 II 1944 年 9月〜1945 年 1 月までのアルデンヌ攻勢における第11装甲連隊第4中隊の
展開とベルリン近郊での終結。グライフ作戦 第150装甲旅団


1)西側での攻撃に関するヒトラーの考え

2)1944 年晩秋のドイツ全体の状況の概要。

3)バルジの戦いの計画と準備
 a)総統司令部における最初の考慮事項
 b)小さな解決策を求める闘い
 c)攻撃の失敗は避けられない - 解決できなかったいくつかの問題の提示

4)ヒトラーのバルジの戦いにおける秘密作戦の計画-オットー・スコルツェニーSS中佐

5)極秘に人員と兵器の確保

6)第150装甲旅団編成 ラーベンヒューゲル作戦
 a)1944 年 11 月 25 日迄の展開
 b) 第 150 装甲旅団編成
 c)ラーフェンヴェーアでの訓練期間 - 戦闘グループの展開準備。
 d)スローガン、噂、ミッションに関する考察 - グラーフェンヴェーアでの最終準備
e)ラーベンヒューゲル作戦からグライフ作戦へ
 f)第 150 装甲旅団を西部戦線に移送し、アイフェルに配備。
 g)第 1 SS 装甲軍団の戦車師団の配備。

7)1944 年 12 月 16 日の攻撃の始まり、あるいは終わりの始まり!
 a)第 6 装甲軍、近隣諸国、敵における情勢の推移の概要
 b)第150装甲旅団

8)2日目グライフ作戦の失敗
 a)第6装甲軍における状況の概要と展開
 b)パイパー戦闘団スタヴロまでのルート
 c)第 1 SS 装甲師団の他の戦闘グループの接近
 d)第150装甲旅団、希望と恐怖の狭間

9)12月20日までの時間
a) 第6装甲軍の状況の概要と展開。
b.)シェルフ戦闘団がリニューヴィルに進軍

10)マルメディの行進
a)1944 年 12 月 20 日の連合軍の状況とマルメディ広域地域における状況の展開の概要。
b). アメリカ側の12月20日までのマルメディ地域の初期状況。
c). 午後の第150装甲旅団の状況 1944 年 12 月 20 日。
d.)攻撃エリア。
e.)スコルツェニーの無意味な命令 - 1944 年 12 月 20 日の夜の戦闘グループ の展開
f). ファリーゼと製紙工場の間 - 戦闘グループ Z の終わり

11) -エルベ川沿いのベルリンとフェルヒランドの間の終わり -最終作戦
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特別編 III 第11装甲予備及び訓練大隊

1)第 11 装甲予備部隊の設立とポーランド戦線および西部戦線(1939年 8月〜1940 年 8 月)

2)ロシア遠征開始までの期間 (1940 年 9 月〜 1941 年 6 月)

3)ロシアとの戦争開始 第11装甲予備及び訓練大隊への改編(1941年6月〜1942年10月)

4)大隊がパーダーボルンからビーレフェルトに移転するまでの期間 (1942年10月〜 1943年7月)

5) ビーレフェルトでの最初の 1 年、さらなる組織再編と最初の空襲 (1943 年 7 月〜10 月)

6)ヴァルインデルから センネの森へ一部移動(1944 年 10 月〜 12 月)

7)戦争最後の年の初めの配備 (1944 年 12 月〜1945 年 2 月)

8)さらなる再編成と終わりの始まり (1945 年 2 月〜3 月)

10)終わりの日(1945 年 3 月 23 日〜 4 月)

補遺 - 第 11 装甲訓練訓練部門 (1944 年 6 月〜 1945 年 3 月) 元戦車砲手の思い出

ハルツでの苦い最後まで 「ブリュール戦闘団の任務」(1945年3月25日〜1945年4月18日)
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特別編IV 捕虜 - 苦い結末 (1945 年 5 月 7 日〜 1948 年 2 月 2 日)
ベルンハルト・バッケルネッカー軍曹の証言
1)終戦、占領、そして最初の収容所体験 (1945 年 5 月 7 日〜 6 月中旬)

2)ソ連への連行 (1945 年 6 月中旬〜 9 月中旬

3)アルチェフスク収容所のヴォイナ・プレニ(1945年9月中旬から1947年夏)
a)木材加工作業隊にて。
b.)初任地 楽団、文化団体

4)戦友との別れと入院(1947年夏〜1947年11月)。

5)帰国 (1947 年 12 月から 1948 年 2 月 2 日まで)
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