Panzerregiment 11, Panzerabteilung 65 und
Panzerersatz und Ausbildungsabteilung 11
Band 1: Von Blitzsieg zu Blitzsieg - Oktober 1937 bis September 1941

第11装甲連隊、第65装甲大隊及び第11装甲予備・訓練大隊 第1巻
 1937年10月〜1941年9月 創隊から電撃戦・レーニングラード


\9.800 ¥0
 
FLECHSIG Michael Schadewitz
ドイツ 448
2013 373枚の写真
30cmX24cm ハードカバ−
独語 新品



第11装甲連隊、第65装甲大隊、第11装甲予備及び訓練大隊の完璧な部隊史です。

この本の初版は1987年に著者が自費出版した本で、当時は約600ページでしたが、今回の改訂完全版は
3冊で約1250ページ!で、新たに発見された資料や写真が追加されています。
著者は、あの名作Meuse First and Then Antwerp(第150装甲旅団史)の著者でもあります。

     
 1987年初版 自費出版レア  第150装甲旅団史独語版  第150装甲旅団史 英語版



第11装甲連隊は1937年10月12日パーダーボルンの軍事訓練所の街センネラガーでWilhelm Philipps中佐(後に中将・騎士十字)をトップに設立され、
第 65 装甲大隊は同じ場所で同日Kurt Thomas少佐(第999アフリカ師団戦死後中将)が司令官でした。
開戦当初は第1軽師団に配属され、ズデーテン侵攻に参加、ポーランド戦後の1939年10月18日第6装甲師団配下に
その後、フランス侵攻で戦ったあと本国に戻り、北方軍集団傘下で1941年6月のバルバロッサ作戦に参加、10月には中央軍集団に移動
レーニングラード戦などで戦い、モスクワ直前で壊滅状態となり1942年5月にフランスに帰還、6月3日には
別部隊だった第65装甲大隊が第11装甲連隊の第4.と第8中隊に編入されました。
その後11月にスターリングラード包囲救出作戦、ハリコフ戦と激戦地で戦い抜いたが、バグラチオン作戦で中央軍集団が破壊された後、ポーランド北部と東プロイセンの防衛、
ブダペスト包囲戦周辺の戦いに参加した後、オーストリアに後退し、ウィーン防衛に参加しました。
1945年5月にアメリカ第3軍に降伏したが、ソ連軍に引き渡されました。



配備戦車は
II号戦車・35(t)戦車・IV号戦車・35(t)指揮戦車・III号戦車・パンター戦車・IV号対空砲戦車・III号火炎放射戦車等々です。

第11装甲連隊の連隊長は
ヴァルター・フォン・ヒューナースドルフ大佐(柏葉 後に中将)
ヘルマン・フォン・オッペルン=ブロニコフスキー大佐(剣付柏葉 後に少将)
フランツ・ベーケ大佐(剣付柏葉 後に少将)
など英雄揃いです。


この第1巻は
創隊からロシア侵攻初期までが調査されています。


創隊後の最初の出動は1938年10月4日から 18日までのチェコスロバキア侵攻作戦でしたが戦闘は回避しました。
ポーランド戦役の開始とともに、第11装甲連隊と第65装甲師団の軍事利用も始まり、特にワルシャワ広域地域では大きな成功を収めたが、同時に深刻な損失も出し
本拠地に戻り、戦車の補充と修理を行った後、1940年1月にライン川の西へ移動。

フランス侵攻は、この 2 つの部隊が第 6 装甲師団の一部としてモンテルメ近くのムーズ川を越えて展開する形で始まりました。
攻撃の第 1 段階はフランス北部を通ってカレーに向かい、大西洋岸に向かいました。向きを変えた後、モンテルメからの 2 回目の攻撃はライン マルヌ運河とソーヌ川を越えて
アルザスに向けて行われました。エピナル要塞の占領により、第11装甲連隊と第65装甲師団によるフランスでの戦闘は終結した。

1941年9月、軍隊は対ロシア戦争に備えて西プロイセンに移動し、最初の展開はロシエニとドゥビサ越えで行われた。
その後、ドゥナ川、オストロフ川、レーニン線とスターリン線を越え、ルガ橋頭堡で数週間の困難な期間を耐えました。

1941年8 月9日から 9 月 18 日までのレニングラードの戦いが始まり2巻目に続きます。

 写真(書類等含む)  地図
編成と平時 1937 年〜1939 年
1)最初の新兵訓練とゼンネラガー軍事訓練場での期間 (1937 年 10 月〜 1938 年 4 月)

2)連隊のパーダーボルンへの移動と侵攻までの期間
チェコスロバキアへ (1938 年 4 月〜 1938 年 9 月)

3)1938 年のズデーテン危機とズデーテン地方への侵攻
a.秋季演習とチェコスロバキア侵攻準備(1938年9月12日〜1938年10月3日)
b.ズデーテン地方を占領し、パーダーボルンに帰還(1938年10月4日〜1938年10月18日)

4)平和和最後の年 - 第二次世界大戦の入り口に立つ若き連隊
a.連隊の再編と秋季演習とズデーテンラントの経験の実施
b. 1939 年春に第 11 装甲連隊と第 65 装甲連隊を新しいシュコダ 35(t) 戦車戦闘車両に改造し、
秋の演習に備えました...
1939 年春のシュコダ 35(t) タイプの操車と秋の演習の準備。
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II 戦争における第 11 装甲連隊/第 65 装甲連隊 - 対ポーランド戦

1)ポーランド攻撃の準備 - 1939 年 8 月の平和の最後の日と
ポーランド国境への展開 (1939 年 8 月 18 日〜 1939 年 8 月 31 日)...

2)第 11 装甲連隊/第 65 装甲連隊のポーランド戦役 (1939 年 9 月 1 日〜 1939 年 10 月 19 日まで)
a. Rychlocice近くのWartaとWielun周辺での侵攻と最初の戦闘
そしてウィダワ川 (1939 年 9 月 2 日から 1939 年 9 月 6 日まで)...
b.予備軍として配備 - 追い越し追跡中の第 11 装甲連隊/第 65 装甲連隊
コジェニツェ近くのヴィスワ川へ(1939年9月7日から1939年9月9日まで)
c.コジェニツェ両側のヴィスワ川での戦闘(1939年9月9日から1939年9月15日まで)。
d.ワルシャワ広域での作戦 (1939 年 9 月 16 日から 1939 年 9 月 21 日まで)。
e.グロジェック地区での食事と休憩(1939年9月22日から1939年10月11日まで)

3)連隊の 2 歳の誕生日に帰国 - 第 11 装甲連隊/第 65 装甲連隊
ポーランド戦役終了後は本拠地駐屯地に再配置される予定だ。
(1939年10月12日から1939年10月23日まで)
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III ポーランド戦と フランス戦の間

1) パーダーボルンでの最後の数週間 (1939 年 10 月 23 日から 1940 年 1 月 29 日まで)

2)西部戦線前のライン川への展開 (1940 年 1 月 30 日から 1940 年 5 月 9 日まで)
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IV 対フランス戦争 - 1940 年の西部戦線における第 11 装甲連隊/第 65 装甲連隊

1)フランス侵攻とモンテルメ近郊のムーズ川渡河の戦い (1940 年 5 月 10 日から 1940 年 5 月 15 日)

2) カレー行進 - フランス北東部の嵐 (1940 年 5 月 15 日から 1940 年 5 月 26 日

3)カッセルとベルギー国境での最終作戦 (1940 年 5 月 27 日から 1940 年 6 月 3 日)

4)モンテルムからエピナルへ - グデーリアン装甲集団との作戦 (1940 年 6 月 4 日〜1940 年 6 月 22日)

5) フランス最後の日々と故郷への移転 (1940 年 6 月 23 日から 1940 年 7 月 5 日)
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待った一年 - フランスでの勝利からロシア遠征の始まりまで

1)パーダーボルンとビーレフェルトでの短い期間 (1940 年 7 月 5 日から 1940 年 9 月 17 日まで)

2)西プロイセンの戦車兵の新しい本拠地からトールンまで
ドイチュ・アイラウとフライシュタット (1940 年 9 月 18 日から 1941 年 6 月 16 日)

3) 国境の行進 (1940 年 6 月 17 日から 1941 年 6 月 21 日)
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VI 最初の東部作戦 - ロシアにおける第 11 装甲連隊と第 65 装甲連隊...

1) レニングラードの門へ - 第 41 陸軍軍団との作戦 (1941 年 6 月 22 日から 1941 年 9 月 18 日まで)
a.ロシエニとドゥビサ交差点 (1941 年 6 月 22 日から 1941 年 6 月 25 日まで)
b.ドゥナへ出発 (1941 年 6 月 25 日から 1941 年 7 月 1 日まで)
c.オストロフとレーニン/スターリンライン(1941年7月2日から1941年7月9日まで
d.沼地の行進とルガブリュッケンコップでの困難な時期(1941年7月10日から1941年8月8日まで)
e.念頭に置いた目標 - レニングラード戦前の戦闘 (1941 年 8 月 9 日から 1941 年 9 月 18 日まで)

2巻目に続く
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